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【歴史の旅】「決定力不足」は日本人が農耕民族だから?

 

サッカー日本代表の「決定力不足」

サッカー日本代表の「決定力不足」はもはや、決まり文句のようになっています。確かに日本代表のサッカーは、ヨーロッパ各国のサッカースタイルと比べると、どこか相手ゴールを狙う一種の「凶暴性」のような迫力には欠ける印象がありますね。決して日本代表が力不足というわけではないのですが、そういう時に「サッカーは騎馬民族のスポーツだな」と感じることがあります。

今回は、騎馬民族と農耕民族についてちょっと歴史を掘り下げてみたいと思います。

 

遊牧民族と農耕民族 

世界史を紐解くと、紀元前4000年ごろメソポタミア地方のチグリス・ユーフラテス川流域(現在のイラククウェートの辺り)に広がる「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる場所において、農耕を基礎とする人類初めての文明であるシュメル文明が生まれます。文字や冶金技術、宗教や芸術品など、現在に繋がる人間活動のおおよその原型が早くもここで生まれているんですね。

そして紀元前3000年ごろに人類の生活スタイルは大きく分けて2つの系統に分かれます。それが農耕民族と遊牧民族。当時の農耕は、まだ河川の流域に位置する養分が豊富な土地でなければ営めなかったため、それ以外の土地では牧畜により食糧を確保する生活様式の方が適していたのです。特にメソポタミア地域より南に位置する、現在のアラビア半島あたりでは半砂漠気候に強いヒツジやヤギ、ロバといった動物が飼われ、逆に北方の地域ではステップ地帯と呼ばれる草原が広がる(モンゴル草原のイメージ)ため、より大型の馬や牛といった動物が飼われていました。

遊牧民族は、季節が変わるごとに動物が喰む草を求めて、常に組織的に移動し続ける必要がありました。さらに家畜は他の動物に襲われたり盗まれる可能性が常にあったため、こうした外敵から家畜を守る術を構築していなければならなかった。こうした理由から、遊牧民族は農耕民族に比べ必然的に組織力や戦闘能力が長ける傾向が生まれてきます。

その後の紀元前の歴史において、幾度となく民族の移動が起こり、遊牧民族が農耕民族の地域に侵入する機会が起こるのですが、ほぼ農耕民族が負けます。軍事的な衝突にあっては、やはり農耕民族は戦闘力に勝る遊牧民族には勝てなかったのです。特に戦闘において高い機動力を発揮する馬を飼っていた北方の民族は強く、鉄器の発達なども味方につけて猛威を振るいます。そうした動きの中で、黒海の北の地域(現在のカザフスタンウクライナのあたり)に暮らしていた遊牧民族の一部が、のちにヨーロッパやアジアに入ってくるのです。

ただし、力に勝る民族が全面的に優れているかというと、決してそうではありません。例えば食糧の生産性においては圧倒的に農耕の方が高く、余剰生産物を生み出すことができました。余剰生産物が得られるということは、集団の中に農業以外の専門職に従事する人々を養える、ということです。こうして生まれた経済的な余裕が、技術であったり芸術といった文化を発展させました。この時期にいわゆる四大文明が誕生するのですが、全て土地が肥沃な河川の流域地帯に発生した農耕地域に生じています。

さてこのあと、組織・軍事面で勝る遊牧民族と、人口・文化力に勝る農耕民族との間で、時には片方が勢力を広げ、時には逆転するような関係が紀元を超え何千年にも渡って続きます。それは決して水と油のような関係ではなく、徐々にお互いの性格が混じり合う過程でもあり、結果として今日のような世界の形成に至っています。なので現代について語るとき、騎馬民族か農耕民族かという性格の分け方はあまり意味はなさないかもしれません。ただ、文明が生まれてからの歴史から見れば、遊牧民族と農耕民族が分かれていた期間の方が圧倒的に長いわけで、おそらくDNAレベルで各民族にはそれらどちらかの性格が濃く残っているのではないかと思います。

 

サッカーの話に戻りましょう

こういう歴史を振り返えると、やはりサッカーは騎馬民族のスポーツだなー、日本代表には限界があるのかなー、と思ってしまうんですね。隊列を組んで、巧みな戦術的連携のうえ相手ゴールに攻め入るというスタイルは、まさに組織的な戦闘そのものです。実は自分はあまりサッカー通ではないので、確信を持っていえることではないのですが、アジアやアフリカの国ってあんまり強くないですよね。アジアは農耕民族が多く、アフリカは遊牧民族というよりその前段階の狩猟民族が多く、組織的な戦闘の歴史が浅いことが関係しているのではないかと思います。個々のプレイヤーとしては優秀で、欧州リーグでも活躍する選手が増えてきていることから、決して体格面だけの問題ではないように思います。個々人のポテンシャルは高いけれども、組織として機動するといまいち迫力にかけるのは、そこには歴史的な理由があるのかもしれません。

ボールとゴールさえあればプレイでき、経済的な余裕のない国でも遊べるという意味で、サッカーは世界共通の素晴らしいスポーツです。ただ世界規模の大会においては、どうしても戦闘能力の差が露見してしまう。いつかそれを補う素晴らしいスタイルが発明されれば良いのですが。