CessnaPort -セスナポート-

本と健康と横浜の街歩き

本の紹介vol.3『レッド・プラトーン』★NYタイムズベストセラー★

あまりにリアルな戦場ノンフィクション 

まるで無防備な前線基地、不穏な動きを見せるタリバン兵。基地閉鎖のせまる2009年10月3日、ついにその時がやってくる。圧倒的なリアリティで紙上に戦場が再現される、読み応えのあるノンフィクション。

この本の読みどころ

・まるで戦場にいるかのような感覚を覚える細かい描写

・あまりに写実的な戦闘シーン

・共に戦うことになる個性的なチームの面々

・前線の兵士の日常

あらすじ

版元であるPenguin Random House社HPより。

In 2009, Clinton Romesha of Red Platoon and the rest of the Black Knight Troop were preparing to shut down Command Outpost (COP) Keating, the most remote and inaccessible in a string of bases built by the US military in Nuristan and Kunar in the hope of preventing Taliban insurgents from moving freely back and forth between Afghanistan and Pakistan. Three years after its construction, the army was finally ready to concede what the men on the ground had known immediately: it was simply too isolated and too dangerous to defend.

2009年、レッド小隊所属のクリントン・ロメシャを含むブラックナイト隊はキーティング

と呼ばれる前線基地からの撤退準備を進めていた。アフガニスタンパキスタンの国境をタリバン兵が自由に行き来できないように、との目的をもってヌーリスターン州とクナール州にまたがる一帯に敷かれたアメリカ軍の基地群から最も遠く、アクセスも極めて限られた場所にその基地は位置していた。あまりに隔離され、あまりに脆弱な基地。降りたった者なら誰でも瞬時にわかるその単純な事実を軍上層部がようやく認めだしたのは、基地建設から3年もあとのことだった。

On October 3, 2009, after years of constant smaller attacks, the Taliban finally decided to throw everything they had at Keating. The ensuing fourteen-hour battle—and eventual victory—cost eight men their lives.

2009年10月3日、何年にもわたり小規模な攻撃を繰り返してきたタリバンは、ついに総攻撃をキーティングに仕掛ける。14時間続く激闘、そして最終的な勝利。8人の兵士の命を犠牲にして。

引用元:
https://www.penguinrandomhouse.com/books/317810/red-platoon-by-clinton-romesha/9781101984338/

弾丸の「重さ」

この本を読んでいて一つ思い出したことがある。
アメリカ滞在中に射撃練習場へ遊びに行った時のことだ。
本来、銃を扱うには免許が必要なのだが、監視官がいる指定されたブース内であれば免許がない人でも銃を扱える車の教習所のような施設がある。
ロサンゼルスのダウンタウンは市の中心でありながら治安が良くないことで知られ、僕が目指した”Los Angeles Gun Club”もまさにそこにあった。あまり人気がなく、路上にはゴミが散乱し、壁には一面ウォールアートが描かれている。良くも悪くもGun Clubという名前に似つかわしい雰囲気にちょっと興奮したのを覚えている。
店内に入ると、ガラスケースに大小さまざまな種類の銃が収められたフロントがあり、そこで試したい銃を選ぶ。するとガラスケース越しに店員が簡単に使い方を説明してくれる。「じゃあやってみて」と手渡されて、安全装置を引き、天井に向かって空砲を撃つ。たったそれだけでレクチャーは終わり。ライフルからピストルまで一通りの銃が選べたのだが、僕はビビってたくさんある銃の中でも一番コンパクトなハンドガンを選んだ。
列に並んでID(パスポートなどの身分証明書)を預けると、引き換えにさきほど選んだ銃と弾丸と、的が描かれたポスター紙を渡される。指定されたブースに入る。ポスター紙をハンガーに吊るしボタンを押すと、ロープが巻かれて十数メートルほど離れた位置に移動していった。

いよいよ銃に弾を込めて引き金を引くのだが、その瞬間知った”ある感覚”がその日の体験の中で一番印象に残っていて、そして今も忘れられない。
それはイヤカバーをしなければ耳が裂けてしまいそうなほどの発砲時の轟音でもなければ、隣のブースで韓国人の女の子がデカいスナイパーライフルを抱え標準を冷たい目で覗き込んでいたことでもない。それは弾丸の「重さ」だ。
あなたは弾丸の大きさと重さを想像できるだろうか?
銃に関しては、なんとなく想像できると思う。ゲームなどに頻繁に登場するし、エアガンだっておもちゃ屋で見かける機会があるから、なんとなくイメージできると思う。でも弾丸の方は?
僕が手に持ったそれはまさに鈍く光る金属の塊で、一番威力の弱いハンドガン用にも関わらずズンと重かった。先っぽが新幹線の先頭車両のように丸まっていてそれが標的を貫通するのだ。ハンドガンですら発射速度は時速900kmに達し、新幹線の最高速度である時速約300kmの3倍以上の速度で標的を貫く。

「今でこそポスター紙に向かって打っているが、これが人の身体を貫通するのだ。」
そう考えるととても怖かったし、人にこの銃を向けるなんてことがどうして出来るのだろうと思った。
そういう感覚を味わえただけでも、この体験はとても価値のある体験だったと思っている。

戦闘シーンの圧倒的リアリティ

この本を読んだ時、それと似たような感覚があった。
この本のすごさは、著者クリントン・ロメシャ自身の一人称視点で、とてつもなく正確で細かく描写される戦場の様子だ。
何が起こって、彼が何を見てどう考えどう行動をしたか。まるで彼の後ろにカメラが付いて回っているかのように語られる。

400ページのうち、実に7割近くのページがたった1日に起きた戦闘の描写に当てられているのだから驚きだ。もちろん戦闘中に時計を気にする人はいないから、時刻まで正確に書き記されているわけではない。けれど体感的には分単位で体験しているような感覚で進む。

私たちが立っているところから集会所までは、二〇歩もなかったが、そこまで行くのは危険が大きかった。まず、弾薬補給点の南東の角でスタックアップしてから、右のHESCO防壁と、左に九〇センチの高さまで積み上げてある砂嚢のあいだの狭い路地を突っ走らなければならない。」

この粒度の描写が延々と続く。たった二〇歩先の地点へ行くことすら危険であり、こうしている間にも戦闘の状況は刻々と変わっていく。決断と行動の連続。あまりにリアルだ。

かと思えば、戦闘が始まる前の基地の雰囲気にはホッと肩の力が抜ける場面もある。

まるで男子校のようなくだらない冗談に、宿舎におかれたゲームに群がる隊員たち。

(うんこ缶との戦いもまた衝撃!)
それもまた僕たちが普段知り得ない一面だ。


僕らが戦場に行くことは(きっと)ないだろう。
TVで語られる戦争は正装に身を包んだ国のトップ同士の主張や、あまり身近に感じられない戦車の通り過ぎる映像、崩壊した市街地の様子。
ただ、実際に最前線で戦っている兵士は僕らと同じような若者たち。上長の命令や全体の計画に従うだけでなく、当然のことながら一瞬一瞬に個々人の意思があって行動しているのだ。
日本に住む僕らにとって遠い存在に思えてしまう戦争を、目の前の光景として再現させる程の力がこの作品にはある。
描かれていることが現実に起こったと考えると恐ろしいし、人と命をかけて争うなんてことがどうして出来るのだろうと。

本の紹介vol.2『死に山』−世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

旧ソ連で起こった、暗い時代のミステリー

1959年に冷戦下の旧ソ連ウラル山脈で実際に起こった未解決事件『ディアトロフ峠事件』。

僕自身は本書を手に取るまでこの事件の存在を知らなかったのだが、オカルト界隈では有名な事件だという(山岳遭難事件の界隈ではなく)。実際に検索窓で「ディアトロフ峠事件」と叩いてみると、出るわ出るわ、「恐怖のミステリ」「数奇で奇妙な怪死事件」「最恐の未解決事件」などなど、思わずリンク先のページを覗いてみたくなるセンセーショナルな見出しの数々。それらのHPを閲覧していくごとに深まる謎。現実に起きた事件なのだから、「結局はこれが真相なんだろう」と直感的に分かりそうなものだが、それすら分からない。

著者のドニー・アイカーも同じように、Webで事件の存在を初めて知り、興味本位で情報を集め出した一人だった。それがいつしか家族を祖国アメリカに残しロシアへ飛んで事件現場に踏み入り、貯金をはたいて事件の追跡を行うまでに白熱。最終的に真相に迫る説を発見する、というのが本書の内容である。

事件のあらまし

1959年2月1日、ウラル工科大学の学生イーゴリ・ディアトロフをリーダーとする男女9人の登山グループが、ウラル山脈に位置するオトルテン山へ向かう雪山登山の途中で夜を明かすためテントを張った。しかし「その夜に何かが起こり」消息を絶つ。いつまでも下山の連絡が届かないことを不審に思った家族が通報。捜索隊が現地に入り、最終的に9人全員の遺体を発見する。しかしそこから、不審な点がつぎつぎと浮かび上がってくる。

遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。

それぞれ、ばらばらの場所に倒れていた。

外は氷点下30度の吹雪だったというのに、ろくに服を着ていなかった。

全員が靴を履いていなかった。

テントは内側から引き裂かれていた。

テントの中の荷物はそのままの状態で、何事もなかったかのように残されていた。

9人のうち6人は低体温症で亡くなっていたが、3人は頭蓋骨骨折など重い外傷を負っており、うち一人の遺体には舌がなかった。

一部の遺体の衣服がボロボロになっていた。

一部の衣服から高濃度の放射線が検出された。

さらに、次のような情報が事件をややこしくする。

彼らは全員がスキーや登山の経験豊富なメンバーであり、安全なはずのテントから吹雪の外へ飛び出すなど通常考えられない。

当時のソ連が山岳地帯で秘密裏に核実験を行っているという噂があった。

同じ2月1日にオトルテン山付近をトレッキングしていた別の2つのグループがその夜、非常に明るい奇妙な光球を目撃していた。

メンバーの一人が最後に撮った写真の一つに、不自然な光体が写り込んでいた。

テントが張られていたホラチャフリ山は現地民族であるマンシ族の言葉で「死の山」という意味だそうだ。当時も専門機関による科学的な調査が行われたものの、最終的な死因は「未知の不可抗力」と記された報告書とともに調査は打ち切られている。

未解決事件の真相に迫る

話は1959年当時と2012年のストーリー現在を交互に織り交ぜる形で進んでいく。

2012年現在の話は著者の一人称で進むのだが、事件現場へ実際に足を運んでしまうほどの行動力には驚かされる。しかも冒頭で述べたように家族をアメリカに残し、貯金も使い果たしながら。それほど夢中になれることを少し羨ましいと思えるくらいだ。

しかしその行動の記録こそがこの本の魅力。関連書類を漁って頭の中でつなぎ合わせたストーリーの上に、独自にひらめいた説を載せるようなデスクワークの産物ではないのだ。

事件を風化させないように努めるディアトロフ財団の理事長や、事件について知識のあるロシア人科学者と出会い、彼らとともにディアトロフ一行の通ったルートを辿って真冬の事件現場へ向かう過程は冒険のようだし、また当時持病の悪化のため行程を途中棄権したグループメンバーとの接触などストーリー性が抜群。

そしてクライマックスは、現代科学の知見に則り事件の真相に迫る著者による謎解き。ロシアへの旅を経て得た自身の体験と、ありとあらゆる資料を読み込んで得た情報によって旧来の雪崩説や強風説、政府陰謀説などをバッサバッサと否定していく。そしてひらめきを元に大学教授の力を借りて組み立てた著者の説はかなりの説得力を持っている。たぶんそれが真相(あるいはその一部)なのだろうと思う。

著者の本業は映画やTV番組の制作や監督だそうで、まさに良質なドキュメンタリー番組を見ているような面白さ、といったら伝わりやすいかな。

ところでこの事件は、半世紀も前の未解決事件ということが災いして、事実を離れてオカルト的な側面が強調されて拡大推測されてきた側面があるようだ。どこか閉ざされていて不穏なイメージがつきまとうソ連という国柄や、冷戦下という政治的背景、1959年という今ほど科学が発達していなかった時代背景、どこか不安を煽るメンバーが遺した白黒写真の数々など。確かにオカルトファンを楽しませる要素には事欠かない。関係者の間でも、陰謀説が普通に信じられていたそうだ。題名に「暗い時代に彩られたミステリー」と書いたのはそういう意味で。

本はまだ2013年に出版されたばかり(邦訳は2018年)なので、著者が導き出した科学的な説はこれから広く受け入れられて、この事件の謎めいた魅力はしぼんでいくのかもしれない。それでも怖いのは、メンバー9人全員が命を落とし決定的な物的証拠もない以上、「未解決事件」であることに未来永劫変わりない点である。

最後に、この本を読もうと思ったなら、事件のあらましを事前にネットで調べて期待を膨らましてから読んだ方が楽しめると思う。ただし、ネタバレを含むサイトは見ないように気をつけて!

『色の心理学』読書レポート ★★★☆☆

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あなたの色を教えてくれる本

色彩とは光の波長のこと。

例えば赤いリンゴであれば、

リンゴは赤い波長だけを反射させる性質を持っているので赤く見えるという仕組み。

 

古代エジプトギリシャ、インド、中国には

古来から色彩療法という色を用いた治療法が確固として存在していた。

色は確かに人間の体に影響を及ぼしているのだ。

 

けっこう当たった「色彩診断」

 

この本の面白さは「色彩診断」に尽きるだろう。

ページに表示されている16種類の色から直感で選択する

それがあなたの色

 

次のページからそれぞれの色が持つ人間的な特徴や傾向が詳細に書かれているのだが、

これがけっこう当たっているのだ。

本全体のページ数の2/3程がこの色ごとの分析に費やされていて、

色彩診断を楽しむための本といっても良いと思う。

 

僕は「ターコイズ」を選んだ。

ターコイズは青色に黄色が少し混ざった感じの色。

少し優しい青といった感じ。

 

青色がベースなので

 

つねに冷静に落ち着いた判断・行動をする人

言いたいことを言えない

〜ねばならないという気持ちが強い傾向

穏やかで平和的

自己探求できる人

 

といった傾向が土台としてあり、

それに楽しさとユーモアといった黄色要素がプラスされるそうだ。

 

これ、

まさに自分のことを言っているのかというくらい的確で驚いた。

ちなみに日本人は青色を選ぶ人が多いらしい。

 

自己啓発書ではないので、

ではこうした方が良いですよ

という示唆は詳しく書かれていないのだが、

まずは自分の性格を客観的に知ることが、より良い自分を探すための第一歩だ。

 

色を意識して使い、生活に彩りを

 

色は人間の体に影響を及ぼす。

そしてそれ以上に、マインドに影響を及ぼす。

 

やる気を出したい時

勝負を掛けたい時

リフレッシュしたい時

 

そんな時々に応じて色の力を借りるのもアリだなと思った。

例えばカーテンの色を青系の色にすれば落ち着いた気持ちになって眠りに入れるかも。

仕事での大事な場面では赤系の色のファッションを身につけ、

同僚に自分のイメージを印象付けたいのであればシャツの色を意図的に選ぶのも良い。

 

そうしていくと、

少しづつ生活に彩りが出てくるかもしれない。

おまじないに近い行為だと言われたら、確かにそうだろう。

けれど繰り返しになるが、色は確かに人間に影響を及ぼす。

それだけは信じる価値がある。

 

ちょっと残念だったところ

この本を手に取ったきっかけは、

本屋でたまたま平積みされていたのを見かけたから、

それと552円という安さに惹かれたから。

この価格だったら仮に中身が期待はずれでも文句なしだ。

 

色彩診断は面白かったし

最初は自分の選んだ色に関わるページを中心に読んでいったが、

次はそれ以外の色についてのページも読めば

きっと新しい発見があって面白いだろう。

 

反面少し残念だったのは、

誤植がところどころに見られる点。

句読点が変な位置に使われていたり、

「脳がが」と明らかなミスがあったり。

 

細かい点だけれど

本として出版するからにはしっかりして欲しかった。

これは自分の考えだけれど

出版される本の優位性は質にあると思っているから。

 

質が担保されないのであれば

WEB記事に近くなってしまう。

そしてWEB記事と同じレベルなのであれば、

それはPCやスマホ上で読めれば十分だ。

 

だからお金を払って買う以上は質が確保されていて欲しいと思う。

それだけ本には価値があると信じているから。

『ジョコビッチの生まれ変わる食事』読書レポート ★★★★★

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グルテンフリー」を世界に知らしめた一冊。

ジョコビッチといえば、テニスに詳しくない人でも知っているほどの超一流選手。

でもテニス界におけるポジションというか、

どれほど凄いのかと言われると、正直良く分かっていなかったのでざっと調べてみた。

 

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横浜散策-馬車道

開国当時の名残を感じられるスポット、馬車道を歩きました。

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馬車道の魅力はなんといっても、歴史を感じられる落ち着いた雰囲気。距離にすれば300mほどの短い通りであるものの、日本で初めてのガス灯や、日本におけるアイスクリーム発祥の地であるなど、文明開化に深いゆかりのあるスポットです。お洒落な店が立ち並ぶような観光スポットではないのですが、逆にそうした飾らない街並みが良い雰囲気を演出します。

ちなみに、この馬車道を抜けてからさらに直進すると、「万国橋」という昔からある石造りの橋梁に行き着き、橋を渡ればみなとみらい地区です。このルートを通ると、ちょうど裏からみなとみらいエリアに入るような格好となり、桜木町駅を出て正面からみなとみらい地区へ入る時とはまた違った角度の景色を楽しむことができますよ。

 

[行き方]

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関内駅北口(横浜寄りの改札)を出て3分ほど歩き、尾上町の大きな交差点信号を渡ると、大通りに面しているにも関わらず急に一方通行の細い道に入り込みます。そこが馬車道の入り口です。路面は石畳に変わり、歩道にはガス灯を模した電燈が独特の雰囲気を醸し出します。馬車道と海岸通りが交差する手前にある立派な建物は、横浜を中心に発展する貿易を金融面から支え、戦前には日本銀行と肩を並べるほど大きな金融機関であった旧横浜正金銀行本店。現在は神奈川県立歴史博物館として現役を続けています。

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馬車道の歴史〕

馬車道が整備されたのは1866年に遡ります。ペリーが来航し条約が結ばれた1854年からおよそ10年後。海に面した海岸通から、内地へと馬車を使って荷物を運ぶための道として整備されました。交易に有利な場所として商館が集まり、また交通の要所であったことから各地へ向けた馬車の乗り合い場所として、馬車道は発展を遂げます。1904年には横浜正金銀行がこの地に本社を置き、それをきっかけに多くの金融機関が拠点を構えたことで、さながらウォールストリートのような金融街として栄えた時期もありました。

さて馬車道は外国人居住区に接していいたため、当時西洋から入ってきたばかりの珍しい品々が試された場所としても有名です。通りに設置されたガス灯は、その煌々と輝く青い光が文明開化のモチーフとしての役割を果たしました。日本に伝わったばかりのアイスクリームは、当時は高価で一般庶民には手が届かなかったため、外国人がアイスクリームを食べる姿をわざわざ見るために多くの人が訪れたそうです。

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人々の往来や賑わいは遠い昔。現在は喧騒を海に面した地区に譲り、ひっそりと裏に佇む味わい深い通りとなっています。ただ、昔ながらの飲食店や、どこか奥ゆかしさを感じるスターバックスなど、どこか歴史的な雰囲気をこの地に留めようという意思が感じられるのもまた事実。歴史に思いを馳せる場所として、うってつけの「馬車道」。横浜を訪れた際は、ぜひおすすめしたいスポットです。

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